どうして愛される実感が持てないのか
私は両親に愛されて育ったと思っているが、無意識下ではそう感じてはいないらしい。
どうして意識と無意識が矛盾してしまうのか未だに分からないが、矛盾してしまうと生きづらさを感じやすいらしい
人の愛し方は様々だけど、いくら愛したところで相手にその愛情が伝わるとは限らない。
愛された経験がない人はいくら愛していても愛情の伝え方が下手であったりする。
いくら愛のある家庭で育ったとしてもいくら愛していても、いくら育児書を読んでも、結局子供に伝わらなければ意味が無いのだ。
母が意図しないちょっとした言動で子供は傷つく。
感受性の豊かな子供は一度感じたものを大人になるまで引きずりそれがわだかまりや生きづらさとして残る。
母のことは尊敬している。愛に溢れ教育熱心で、素晴らしい人だ。
そんな母の元で育った私が今こうなってしまっていて、母は何も悪くないのに自分の教育方針を責めている。
愛することがそこまで難しいのなら、私は子供を産み育てていく自信は到底無い。
頭の中は疑問だらけだ。
確かに幼少期は一人で家にいる時間が長かったし、両親が忙しい時は祖母に預けられていたがそこまで辛い経験は覚えていない
覚えていないということはきっと解離しているんだろう
小さい頃の記憶は、祖母との記憶しかない
なんで覚えていないんだろう、なんで解離してしまうんだろう
そこまで一人でいることが辛いものだったのか?
いつも母に迷惑をかけたくないと思うことがそんなに辛いことで、そんなにさみしいことなのか
迷惑をかけたくない一心で結局はこうなって迷惑をかけているじゃないか
日々自分に憤りを感じる。
どうして誰もわかってくれないのか、理解されたいと思うことはいけないことなのか
絶対にだれも私の内面まで入れたくないのに、だれも内面まで理解しようとしてくれないことで苦しくなっている。
無意識と向き合って意識との差で訳がわからなくなっている。
愛されたいくせに、誰にも心を開かないじゃないか