何も理解する必要はない
シッタカブッタという古い本を読んだ。
基本的に四コマ漫画なのだが、人間の心理が深く描かれてる。
私は自分を理解することで楽になろうとしているが、その必要もないのかもしれないと思った。
辛いことにどうしても何故も無く、ただ辛いだけでそれでいいのかもしれない。
書くことは悪い癖で、言葉では心は表せない。
ゾウのことを言葉で説明しても絵で説明しても動画で説明しても本物のゾウのことは誰も知らないし完全には理解できない。
生き物を解剖しても命そのものは見えないし何かを探すだけ無駄なのだ。
私はただ書くことで安心したいのだ。
ただ安心したいだけだ。
書くことで何も解決はしないし理解したところで楽にはならないのだ。
本物の幸せは何もないところにあって、考えれば考えるほど遠くなるし書いても何も得られないのだ。
少し楽になると同時に私は幸せになるにはとても遠いことをしているのかもしれないとおもった。
難しく考えて悩んで常に疑問を持って目標を必要として欲望を追いかけて打ちのめされてまた疑問を持ち悩む、全て無駄なことだ。
人間は皆同じことをしているじゃないか
本当の意味で幸せな人などいるのだろうか
もしかしたら幸せや不幸せという概念すら必要のないことなのかもしれない。
夢や目標や学歴や美しさやプライドや肩書や若さ、この世の良い悪いとされているものを全て捨ててもそのままの自分で居られる。
そんな人がこの世に存在するのだろうか?
疑問を持つと遠ざかってしまうならただ無でいればいいのか。
湧き上がる感情に疑問を持たずにただ感じることができるのか。
やはり結局疑問しか出てこない。
こんな自分も全て受け入れろというのか。
不安な自分で安心していいのか。
私は何者かになりたい、常に存在を確かにしていたいと思うのだが、何者でもないのだということを理解できる日は来るのか。