生きるのがつらい日記

カウンセリング後の考察や普段思い付いたこと

二種類の感情の壺とフタがある

昨日はカウンセリングに行った。

感情を「切り離す」という表現に違和感を感じ、壺の中の感情に重い蓋をしていると解釈していたが、それであっていたようだ。
先生の言う切り離すという言葉は、どうやら「心の中にいるもう一人の自分(無意識の感情)」を認識出来ず、離れ離れになってしまっているという例え方らしかった。
もう一人の自分を切り離すというふうに例えられると、違和感のあった切り離すという言葉にも納得がいった。

先週私はカウンセリングを受けた次の日から非常に落ち込み、訳もなくどうしてこんなに落ち込むんだろうと思っていたが、感情には必ず原因があるもので、訳もなくということは絶対にないのだということを忘れていた。
無意識下に押し込まれているとしても、必ず何か原因があるのだ。
先週のカウンセリングのワークの中で自分の口から、「誰にも愛されていない」という言葉が出てきた。
これはそのワークをやった事のある人にしか分からないと思うので非常に説明しづらいのだが、自分の意志でその言葉を出すというよりは、いきなり自分の頭の中に答えが浮かび上がってくる。
愛されていないという言葉が自分の頭の中にあまりにも確実性を持って出てきたことが、とてもショックだった。
なんとなく愛されていない実感があるというのはわかっていたのだが、母はとても優しく愛情に溢れているし、私のことを愛してくれている。愛されていないなんてことはない、そんなことを思ってはいけない、そう思っていた。
しかしその言葉ひとつで、無意識下にあった愛されていないという感情を今まで以上に実感してしまったので、以前より辛い気持ちが増してしまったのだ。

このように、意識では愛されていると思っていても無意識下ではそれを実感していない等の「意識と無意識のズレ」が生じていることが、感情を切り離す、感情にフタをしている、ということなのだと理解した。
これが私の場合は日常的に起きているらしく、いくつかワークをすることで自分の知り得なかった感情を知ることができた。
今は一人では無意識の感情を感じることが難しいので、しばらくは定期的に通ってまずは感じる練習をしなければならない。
感情を感じることが出来るようになれば、自然とコントロールも効くようになってくるらしい。

しかし、私は感情的で情緒不安定なのでとても感情に蓋をしているとは思えなかったのだが、強く抑え込んでしまう感情と、そうでない感情があるらしい。
壺で例えると感情がわく壺が2つ、抑えるフタが2つあるイメージで、片方のフタは重過ぎて持ち上げられず、抑える力が強すぎて溜まった感情が爆発してしまう。
もう片方の蓋は無いも同然、抑える力が弱すぎて感情がポンポン出てきてしまう。
そう説明されたが、確かにそれなら納得がいった。
どうしてこんなに感情がめちゃくちゃなんだろうか。
辛い辛いといいながら働いてる人の無意識下はどうなっているんだろう。
辛い感情を抑えているのか、働きながらも上手く小爆発を繰り返しているのだろうか。
それともフタは薄く、爆発するほど溜め込む前に発散出来るようになっているのだろうか。
どちらにしろ、人それぞれの壺とフタの形があって、それぞれの方法で生きているんだろう。